『何で撮るかより何を撮るか』
私事になるが、去年の4月にカメラを新調してもうすぐ1年が経とうとしている。今まで使ってきたFUJIFILMのカメラに特段の不満があったわけではないが、別のカメラを使ったら今見ているこの景色がどう切り取れるのかは以前からずっと気になっていた。あとはカタログスペックが上がることによってどんな恩恵を賜われるのかにも興味があった。
きっと僕以外にもカメラが好きな人は沢山いると思うが、いざカメラを選ぼうとなった時にネット上で情報を得ようにも、所謂カメラ愛好家の方々はそれぞれ言っていることがてんでバラバラで、明確な答えを得ようと思えば思うほど答えが見つからずに困惑した経験がある人もいると思う。人ぞれぞれ言っていることが異なることを僕は特段気にしない。100人いれば100通りの答えがあって然るべきだし、寧ろ答えが一つしかない事態の方が悍ましい。それでも敢えて僕がこうして文章にしたのは、愛好家の方々の論調が些か断定的でかつ排他的だと感じることが多いからだ。実生活でもネット上でも、声と主語が大きい人種を僕はあまり信用しない。結局のところ面白い話はいつの時代もこっそりと小声で語られることが常であり、だから僕もこうしてチラシの裏のようなスペースでひっそりと文章を綴っている。
これだけの前口上を述べた上で更に困惑させるようで申し訳ないが、僕はこの記事で明確な答えを書き記すことはしない。理由は後にとくとくと書いていくが、僕はどんなカメラで撮るかの優先順位があまり高くないからだ。なので明確な答えが知りたい人はこの文章を読んで時間を無駄にすることをせずに、再びネット上で愛好家たちの強気の物言いに耳を傾けることをお勧めしたい。





僕は現状2台のカメラを併用している。メインは冒頭で挙げた昨年4月に購入したLeica Q3。そして2台目は8年程愛用しているFujifilm X -Pro2。結論から書いてしまうとどちらも良いカメラだ。2台のカメラを未だに併用している僕にとっては、結局はどんな道具で撮るかの優先順位はそれほど高くなく、それよりも常にカメラを持ち歩くことが何よりも大切だということを伝えたい。
陳腐な言葉になってしまって恐縮だが、外の世界は本当に面白い刺激で満ち溢れている。フラフラと出歩くだけでも毎回何かしら新しい発見があるし、カメラでその発見を切り取って記録を積み重ねていくことはとても楽しいことだ。『いちいちカメラで撮るのはダサい』『覚えておけば良いだけ。写真に撮るのは無駄』という反対意見もよく耳にするが、僕は決してそうは思わない。悲しいことに記憶は脳内で劣化していく。見たままの光景を10年20年と新鮮さを保ちながら覚えていることはほぼ不可能だ。
昔に撮った写真をたまに見返して、見返した瞬間に過去の情景や感情が堰を切ったように一気に思い出されるあの瞬間が僕は好きだ。歳をとって年々涙脆くなってきているからか、写真を見返している時に不意に涙しそうになることがあるくらいだけれど、記録媒体としての写真は数年後に効果を発揮することを改めて付け加えておきたい。記憶と記録のどちらが優位かという話ではなく、双方を結びつけた時に起こる化学反応を楽しむのも一興だと僕自身は考えているし、シャッターを切って記録するという行為が、記憶の鮮明さを保ってくれる一因になると信じている。
日記に近い感覚なのかもしれないけれど恐らくは違う。言葉にしないと捉えられない感覚や価値観が無数に存在するのと同じように、言語化することが出来ない繊細なニュアンスの事象が世の中には無数にある。過去の日記を読み返した時に触れる感覚と、過去の写真を見た時に感じる感覚は限りなく近しいかもしれないが、その差異が埋まることは無いだろうし(少なくとも僕には)、その差異があるからこそ写真を撮るという行為に対しての重要性が増すとも考えている。




前述したように、僕は常にカメラを持ち歩くことを大切にしている。これを書いている今日も当たり前だがカメラを持ち歩いて生活している。撮りたいと思った景色や対象は僕が望むタイミングで目の前に現れてくれないし、撮りたいものを撮りたい時に撮れなくて後悔したことが過去に何度かあったタイミングで、僕はカメラを常に携帯する生活にシフトした。
カタログスペックの優位性は確かに存在すると思うが、結局は自分が撮りたいものをイメージ通りに撮れることが一番重要なのだと、最近は改めて感じている。高性能な機体でないと自分のイメージした一枚を撮れないのであればその類のカメラを買えば良いし、逆に画素数やセンサーサイズが高いことによって思い通りの一枚にならないのであれば真逆の選択をすれば良い。






僕が一番大切にしているのは携行性だ。日々カメラを持ち歩くことを何よりも重視しているので、重量が重すぎないカメラであることを重視している。それに付随するが望遠レンズはあまり選ばない。元々初めて買ったカメラがGRだったこともあり、単焦点レンズに特段不便を感じていない。画角は自分の足で稼ぐものだと思っているので、重くて携行性に欠ける望遠レンズよりも、軽くて取り回しのきく単焦点レンズの方が好みだ。あとはポートレート撮影もするので望遠レンズだと相手を萎縮させてしまうこともあるので使わないようにしている。バズーカみたいな長筒レンズを構えられて気持ちが良い人はあまりいないのではないだろうか。
カメラ好きからは顰蹙を買うだろうが、僕はレンズ交換式のカメラでも殆どレンズ交換をしない。交換用のレンズを持ち歩くことに煩わしさを感じるくらいなら、今カメラに付いているレンズで最大限納得のいく一枚を撮りたいという考えが勝る。今メインで使っているLeica Q3はレンズ交換式のカメラではないが満足のいく写真が撮れている。レンズ交換ができないことをマイナスと捉える人もいるが、逆説的な見方をするのであれば、メーカーが一番オススメの組み合わせのカメラとレンズのセットで撮影が出来ると考えてみるのも良いかもしれない。





『カメラを持っていると日常の見え方が変わって見える』あまりにも使い倒された陳腐な言葉かもしれないが、僕はこの言葉の意味と価値にとても共感する。別に肩に力を入れて特別な一枚を撮る必要なんてさらさら無いし、それよりもいつもの生活を切り取るくらいの塩梅で撮った一枚の方が、後々見返した時に面白みを感じることが多いと感じているからだ。カメラは自分の生活を再定義してくれるし、撮影する対象だけでなくその景色の切り取り方からも、撮影当時の自分の人間性が透けて見えるから良い。





カメラを買うことを検討しているのであれば、どんなカメラを買うかよりも先にどんな写真を撮りたいか考えることに時間を割くことを強くお勧めしたい。自分の撮りたい写真への価値観の解像度が鮮明であればあるほど、きっと選んだカメラは長い時間を共にできる相棒になるはずだ。最新のカメラが一番使いやすいわけではないので、じっくり時間をかけてお気に入りの一台を悩めば良いと思う。
最近カメラに関しての質問を受けることがとても多かったが、なかなか単純明快な答えを提示することが出来ずにモヤモヤとしていた。だからこそ何故即答出来なかったかということを僕なりに言葉を選んでこの場で書き記したつもりだ。あとはこれも本当に当たり前のことだが、同じカメラを使ったからといって同じような写真が撮れるなんてことはない。同じスマホカメラで撮った写真でも人によって全く異なる仕上がりになるのは分かるはずだ。
結局は好きな道具で撮った好きな写真が自分にとっての最良になるのであれば、カメラなんて何を使って撮っても楽しいはずだ。皆様が素晴らしいカメラライフを満喫出来ることを祈っている。
