TiffanyのBone Cuffと八百万信仰

 

『未だに覚えている光景がある』

 

僕は当時からアパレルで働いていて、その時に懇意にしてもらっていたマダムがいた。アニメや漫画の世界に出てくるような毳毳しい装いのマダムではなく、どちらかというとシンプルな出立ちで、だからこそ僕には彼女がとても洗練して見えた。僕の2倍以上生きていると言っていた、そんなマダムの話だ。

 

前述したようにマダムはいつもシンプルな服装をしていた。カラーパレットも素材もベーシックなものを好んでいたように思える。春夏秋冬いつだってシンプルを地で行く人間だった。そのマダムが手首にずっと身につけていたのがTiffanyのBone Cuffだった。訊くと50年近くずっと身につけているとのことだった。春にはマーガレットハウエルの白のコットンシャツに合わせて。夏にはアニエスべーのボーダーTシャツの腕元に。秋にはジョンスメドレーのカシミヤニットの上から身につけていた。冬はセリーヌのスーツの袖口からチラッと見えたのを覚えている。

 

マダムは会う度に素敵な服で僕を楽しませてくれたが、その時の服装以上に、僕は彼女の腕元から目を離せずにいた。兎に角ブレスレット自体の存在感が異彩を放っていた。小傷も多く、シルバー独特のエイジングも激しく進んでいたが、だからこそ新品とは明らかに異なる異質な存在感を持っていた。50年のエイジングと対面で接したのは初めてのことだったし、しかもそれは家の中で大切に保管した50年分の使い込みではなく、50年間ほぼ毎日使い続けた上での50年分のエイジングだ。僕には腕元で鈍く光るBone Cuffがアクセサリー以上の何か別のものに見えた。一番近い感覚だと神具だ。

 

 

日本には八百万信仰がある。大切に使い続けた物には神様が宿るというこの価値観が僕はとても好きで、だからこそ自分が気に入った物は出来るだけ長く愛用していきたいと思っている。自分のお気に入りの物に神様が住んでくれていたら単純に嬉しいしね。マダムのボーンカフには多分神様が宿っていたのだと、僕は疑いもせずに未だに信じている。それくらいあのブレスレットには人を惹きつけてやまない何かがあった。日々の苦楽を共にして、手入れをしながら一緒に生きていく自分の分身のような存在。衣食住の中の衣が最近軽視されているような気がしてならないけれど、改めてひとつの物を長く愛用していく価値観を大切にしていきたい。

 

数年後に僕もボーンカフを購入した。使い始めてまだ3年。マダムまであと47年。先は長いかもしれないけれど、マダムが言うにはあっという間らしい。